子供に教えることのまとめ

子供に教えたいことをいろいろまとめてます。

飛鳥時代 592〜710年 約220年間



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蘇我氏(そがし)と物部氏(もののべし)の2大豪族の戦いが起こる。
仏教好きの蘇我氏と仏教嫌いの物部氏。


仏教好きの蘇我氏が勝利。


聖徳太子(しょうとくたいし)が生まれ、20歳で推古天皇(すいこてんのう 第33代天皇 女性)の代理(摂政 せっしょう)になる。
旧一万円札の人。



一番の有力豪族は、戦いに勝利した蘇我氏。


蘇我馬子(そがのうまこ)が大臣(おおおみ)という最高権力者だった。


聖徳太子は蘇我馬子と協力しながら政治を行った。


聖徳太子がやったことは、大きく分けて4つ。


1.冠位十二階(かんいじゅうにかい)という階級制度を定めて、有能な人材を役人に登用できるようにした。

ちなみに、聖徳太子は別格なのでこの色分けとは違う色の帽子をかぶっていたそうです。
橙色という説が有力。


2.十七条の憲法(じゅうしちじょうのけんぽう)という決まりを作って、役人を取り締まった。

3.小野妹子(おののいもこ)という役人を遣隋使(けんずいし)として中国に派遣。隋(ずい)と対等の国交を開いた。


4.四天王寺(してんのうじ)や法隆寺(ほうりゅうじ)を建てて、仏教を盛んにした。


四天王寺(大阪)



法隆寺(奈良)

法隆寺は、現在残っている世界最古の木造建築。


聖徳太子が死んだ頃、中国では隋(ずい)に変わって唐(とう)が統一をはたす。


日本からも遣唐使という役人を何回も派遣する。


ここで、大きな出来事が日本で起こる。
そう、有名な「大化の改新(たいかのかいしん)」。


その頃実権を握っていたのは、蘇我氏。
蘇我馬子(そがのうまこ)→蘇我蝦夷(そがのえみし)と続いて、蝦夷の子供、蘇我入鹿(そがのいるか)が実権を握っていた。
蘇我入鹿は、聖徳太子の子供を追い出して恨みを買い、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ 後の第38代天皇 天智天皇)と中臣鎌足(なかとみのかまたり)という豪族が協力して蘇我入鹿を暗殺した。
これにより、蘇我氏は滅亡の運命をたどる。


蘇我入鹿の暗殺を成功させた中大兄皇子と中臣鎌足は政権を握る。
日本で最初の元号「大化」を定めた。


これら、一連の出来事を「大化の改新」という。


中大兄皇子と中臣鎌足は、日本を律令制(りつりょうせい)にする。
律令制とは、中央集権的な統治制度。
要するに、決め事は中央で全部決めて国民を縛り付けて、国民の財産を没収して豪族が豊かに暮らせる世の中を作ってしまおうという制度のこと。
「公地公民(こうちこうみん)」という制度をつくり、土地とか財産はみんな朝廷の天皇のものだと決めてしまった。


そんな中、白村江(はくすきえ)の戦いというのが起こる。
これは、朝鮮半島で起こった戦争で、この戦争に日本が援軍を出した。
結局、日本軍が援護した百済(くだら)は負ける。


この頃から、都(みやこ 天皇がいる場所)をチョコチョコ移し始める。



都を近江大津宮に移し、中大兄皇子が天智天皇(第38第天皇)になる。


天智天皇(中大兄皇子)が死ぬと、跡継ぎ問題で内乱(内戦)が起こる。
これが、壬申の乱(じんしんのらん)。最初の大規模内乱。


反乱軍の大海人皇子(おおあまのおうじ)が天武天皇(第40代天皇)となる。


この天武天皇のときに近江令(おうみりょう)という日本で最初の法律が発令されたというが、多分嘘。証拠なし。


同じく天武天皇のときに庚午年籍(こうごのねんじゃく)という日本最初の戸籍制度ができる。
土地を国民に分け与えて、そこで収穫された作物を効率よく没収する制度(班田収授法 はんでんしゅうじゅほう)に利用する。


天武天皇が死んだあと、持統天皇(じとうてんのう 第41代天皇 女性)が政権を引き継いだ。
持統天皇は、飛鳥の藤原京に都を移した。飛鳥文化はの名前はここからきている。


第42代天皇は文武(もんむ)天皇。
文武天皇の時代には、大宝律令(たいほうりつりょう)という日本で初めての本格的な法律ができ、和同開珎(わどうかいほう)という日本で初めての貨幣ができた。


大宝律令の内容はこんな感じ。



和同開珎



一方世界では、沢山の大きな戦争が相変わらず起こっています。
紙が中国で作られました。

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